短期集中で介護付有料老人ホーム
それは時代の流れで仕方がないことであっても、お年寄りの介護をしていこうとする者なら、そのお年寄りが暮らした地域の歴史をもう少し知っていてほしいと思います。
今でもなお、お年寄りの身についた生活習慣を見る場面はいくらでもあります。
例えば食事のとき、テーブルに置かれる食器の位置は決まっています。
ご飯茶碗は左で汁のお椀は右に置きます。
これが逆になっていると落ち着かないので、わざわざ移動するお年寄りがいます。
ご飯を食べ終わったときに、茶碗にお茶を注いで内側をきれいにし、人によってはご丁寧に漬け物できれにする人もいます。
これは食事のたびに食器を洗うのではなく、お茶などできれいにしてお膳に載せてしまっていたときの名残で、そのように子どもの時からしつけられてきたものが残っているのです。
また、おかずを残すときでも、まったく箸をつけずに残すのも習慣であり、しつけでした。
I箸をつければ汚くなるが、そのままだと誰かが食べられる」と大正生まれのおばあさんは言います。
地方によっては、お皿をなめてお膳に返したところもあるのです。
これらの育った背景を無視して、すべてを今の価値観で計り、自分たちの価値基準に合わないことを痴呆と言っているように見えることがあります。
何十年とそのように生活してきたものが、施設を利用するからといって急に変えられるものではないし、お年寄りが変える必要はないと思います。
必要なのは、職員がそのお年寄りの暮らしを理解し、認めることです。
純粋に和風の家屋で育ったお年寄りは、トイレのドアを開けて向きを変える習慣がありませんでしたから、施設の洋式トイレに入ったとき、便座にのって水洗のタンクをかかえるようにしゃがんで用を足していました。
こういう年寄りには、職員用の和式トイレを使ってもらうことで解決しました。
明治や大正時代に生まれたお年寄りとは、比較的お付き合いしやすいと感じています。
なぜなら、その時代背景に多様性は少なく、価値観もどの世代も似たものだったからです。
遊びリテーションをしていて、罰ゲームと称してうたを歌ってもらうとき、恥ずかしがっていても「みんなで歌うから」と誘うと歌ってくれることはよくありますが、選曲に悩まないで済むということがあります。
私たちにとっては明るい曲ではありませんが、「龍の鳥」ゃ「美しき天然」「お山の杉の子」「案山子」「紀元節」「天長節」などを、新しいところでは「りんごの歌」などを歌った世代です。
昭和ひと桁生まれの方が、老人と呼ばれる世代に入ってきました。
この世代のお年寄りは、明治、大正生まれのお年寄りとは価値観や背負ってきている歴史がまた違います。
文化が多様化してラジオが一般的になり、「のらくろ」をはじめとするマンガが広がりを見せ、娯楽そのものが大きく変わって、個人の趣味に差が出てくる時代に育ちました。
訪問した先の72歳のお年寄りは、自分の趣味について話してくれるのですが、こちらの理解の範囲を超えているのです。
その方は、「ぼくはタンゴが好きでねえ。
特にアルゼンチンタンゴ、これがいしミ。
タンゴがヨーロッパに渡りコンチネンタルタンゴになったけど、君はコンチネンタルタンゴについてどう思う」と聞かれた。
どうと聞かれでも、タンゴそのものがよくわからない。
「東京ブギウギ」を歌い、マンボブームで浮かれた世代の介護に関わるときには、こちらの覚悟もそれなりのものが必要になってくるでしょう。
三好春樹さんは著書の中でこう述べています。
「老人を大切にするということは、老人一人ひとりの生活習慣を大事にするということに他ならない」(Wじいさん・ばあさんの愛しかた」法研)。
まさにその通りだと思いました。
そのために、介護に関わる自分たちがお年寄りの暮らした地域や時代に思いを馳せ、学んでいくときのコミュニケーションにおもしろさを感じています。
特別養護老人ホームや老人保健施設のように、入所して生活する場合、一般に職員数としての介護力が在宅よりも多いため、施設内で介護が完結しているように感じるのです。
つまり、生活支援をしていくというよりは、日常生活においてできないことを援助する、という狭い範囲での関わり方しか見出せていないことが多いようです。
お年寄りの暮らしを援助するということは、ご飯を食べて排植をし、入浴するだけではないはずです。
遊びリテーションもあれば園芸や手芸、日常的なお茶の時間、散歩などもあるでしょう。
どれも職員が準備をして、お年寄りに手伝ってもらって片付けに追われる、といったものになっていないでしょうか。
澄子さん(仮名)は、夫と共に特別養護老人ホームに入所してきました。
夫は厳格な性格で、そばにいる澄子さんがそれなりの世話を焼いていて、傍目からはその世代にありがちな夫婦に見えました。
澄子さんには軽い痴呆があったのですが、日常生活にはあまり支障がありませんでした。
なぜなら、自分というものをあまり見せず、食事に誘えば食堂に来るし、クラブ活動に誘えば参加するというように、自発的とは言えず、人に促されるままに生活しているように見えました。
その澄子さんに、徐々に変化が表れました。
病気で夫が亡くなったので、さぞ寂しいだろうと思って、「部屋にご主人の写真でも飾りましょうか」と言うと、「あんなやつの写真はいらない」ときっぱり言うのです。
見事な訣別でした。
自からの意志で何かをしたいと言うのを、今まで聞いたことがなかったからです。
ある職員が、澄子さんは、昔は地元で、は名の通ったお茶の先生だったから、またお茶を点ててもらってはどうか、と提案しました。
長いこと点前からは遠ざかっていて、今は痴呆もある状態なのでできるかどうかわかりませんでした。
提案した職員の行動は早く、許可をもらってすぐに、茶碗からお釜にいたる一式と、野点のために真つもうせん赤な毛艶と傘などの道具をそろえたのでした。
ここまでくればもう先に進むしかありません。
澄子さんを中心にお茶を点てるのですが、順番を忘れ、側に座った職員に動きを指示されながら点てるということもありました。
何度となくお茶は点てられ、初釜のときには、着物まで着てお茶を振る舞うまでになりました。
ここまでできるようになった澄子さんに、私たちは満足で、したが、澄子さんにお茶を勧めた職員は、驚いたことに、「澄子さんにお茶の教室に行ってもらおうと思います」と新たな提案をしました。
お茶を習いに行くのではなく、職員が付き添ってもう一度お茶の教室に教えに通う、というのです。
結局これも実現し、そこでの様子は、普段の姿からは想像できないくらいシャキッとしていて、付き添った職員が興奮して様子を話すほどでした。
朝から手洗いに行ってもいいか尋ねて、お風自の日を確認してくるようになったのです。
相変わらず嫌いなクラブ活動には参加しない状態でしたが、何よりも冗談が通じるようになりました。
例えば、澄子さんは下腹がちょっと大きくいつもそれを気にしていました。
入浴するとき着替えを手伝っているとき、冗談に、「澄子さんのお腹って、子どもがいるみたいだね」と言うと、「そう、できたかも知れない。
00さんの子が」と、男性職員の名をあげ、今までは誰も想像しなかった冗談を言うまでになりました。
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